2018年01月22日

小玉醸造 太平山 壽保年 大吟醸 1.8L 

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「米の秋田は酒のくに」

全国有数の米どころであり、
清酒の生産量と消費量の両面で突出した、
まさに「美酒王国」なのです。

交通機関や文化的な面で決して恵まれているとは
言えない地域にありながら、
今日の「美酒王国」の地位を確立できたのは、
先人たちの幾多の努力と時代の進展に適応した
施策が不可欠であったということは言うまでもありません。

秋田県は寒冷積雪の冬が長いこともあり、
昔から酒の消費量が多い土地でした。

また、米産地として原料米の確保が容易であり、
さらには良質な水源や気候風土等、
酒造りの条件に大変恵まれていたため、
県内各地に多くの酒造業が興りました。

佐竹義宣の久保田入部の慶長7年以前の
県内酒造業については明らかになっておりませんが、
当時既に多くの鉱山や港町で酒役(酒税)が
課されていたことが記録に残っています。

佐竹藩が幕府に提出した酒造業に関する口上書によると、
藩内には700軒を超える酒屋があり、
酒造りは藩の農業・鉱業等、経済の特質上
欠くことのできない重要な産業と考えられていました。

このため、藩が酒造業の発展のため
先進銘醸地より指導者を招き酒造りの指導や人材育成に
あたらせたという記録も残っています。

さらに、宝永三年、正徳五年に幕府から
減産令が出された時は、
佐竹藩が寒冷地での酒の必要性を訴え、
領民に迷惑不便が及ぶとして内々に幕府の
了解を得て酒造業の保護策をとるなど、
酒造業が栄える基盤がありました。

明治までは秋田に限らず酒造技術の伝承は
各蔵元が口伝えあるいは実地指導で行われていましたが、
明治末期になり、科学に基づいた新技術が日本醸造協会の
講習会等によって全国で広く普及することになりました。

明治31年、湯沢の伊藤隆三(二代目忠吉)らが
大蔵省醸造試験所の第1回酒造講習会を
受講して新技術の研修を受け、
その技法を寒冷地向きに改良して県内の蔵元に伝えた結果、
秋田酒の酒質は格段に向上しました。

そして明治40年には伊藤仁右衛門醸造の
「両関」「庭の井」が、日本醸造協会主催の
第1回全国清酒品評会において一等賞を受賞し、
業界に初めて秋田酒の名を掲げました。

これが県内蔵元の大きな希望と刺激となり、
また全国的にも注目されるところとなったのです。

各団体で開催されるようになった品評会での
受賞によって市場での格付が明確になり、
それが販売に影響したことからも蔵元の
品質向上に対する意欲はさらに高まっていきました。

こうして、蔵元の企業家としての自覚と努力、
後継者や杜氏蔵人への教育等、
経営の改善と向上に積極的な姿勢で臨むことが
必要な時代を迎えたのです。

この続きは、また別のページで記載致します。























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posted by 暇tarou at 20:24| Comment(0) | 小玉醸造・太平山辛口
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